私は、今、生きていますが、基本的には、苦しいです。今は三連休の最後の休日なので、肉体の疲れはあまりないです。しかし、一日でも肉体労働の仕事をすれば、もう、帰り際の運転の最中でも、とても疲れ果てています。
もっと楽にならないかなぁ?とも思いますけど、現状、無理です。この肉体というやつは、とても疲れ易く、直ぐに疲弊します。疲労感が中々抜けません。
その為、休日も、ずっと疲れ果てたままです。まあ、流石に、二日目の休日になれば、かなり疲労感は取れていますけど。
この三連休には、最後の仕事日の帰り際に、銭湯に行きました。水風呂とか、普通の風呂とか、サウナとか、色々あるので、自宅の風呂よりも疲労回復に効果がありましたので、翌日はずっと楽でした。
でも、お金は当然かかります。駐車場代もかかるし。
まあ、このように、肉体の疲労感から来る苦しさも当然あります。肉体が疲弊していると、当然、その肉体に宿る精神も疲弊します。いくら精神面でやる気に満ちていたとしても、肉体が少し動かすのにも疲れ果てるようであれば、もう、ほとほと生きることは嫌になってしまうでしょう。
単なる疲労感でさえ、これ程の徒労感を感じるのですから、本格的に、癌などの重い病に肉体が侵食されたならば、もう、もっと生きるのが嫌になってしまうかもしれません。
それは、当然なのです。特にどこも現状、病気ではない私の肉体でさえ、まだ36歳の私の肉体でさえ、これだけの疲労感があるのですから。もっと年上で、しかも大病を患っていたり、障害者であったりするならば、猶更、生きることは嫌になっていることでしょう。
実体験はありませんけど、想像は出来ます。
その他にも、この世で生きていくには、お金が要ります。貧乏は嫌です。清貧と言いますが、清貧よりも、お金がある正しき人の状態の方が、より望ましい。
だって、もしもガンになってしまったら、貧乏では、対処できない。普段からガン保険に加入するのだって、お金が必要だ。
私は今、アフラックの医療保険で、がん保険も加えて、毎月約6400円位も支払っています。これも、けっこうキツいです。でも、もしもガンやその他の病気や怪我をした時に、薄給では対処しきれないので、加入している次第です。
本当に、この世は、何をするにも、金が掛かります。薄給の身にはキツいですね。
本当に、生きていて、楽だと感じた瞬間は、無いでしょうね。
生きるということは、基本的に、苦しいです。楽しいと思った瞬間さえないです。
東京にあった、トヨタ車の大型展示場に行ったことがあります。そこは、今はもう無いかもしれません。でも、そこに行った時には、トヨタ車のコンパクトカーとか、ミニバンとか、ランドクルーザープラドとか、色々乗れました。試乗は無理でしたが、展示車に乗り込むことは出来ました。
しかし、それらを買う金なんて、到底、今の私にも、過去の私にもないのです。昔も今も薄給だからです。いつでも貧乏なのです。
そう、この世は、何をするにも、金が常にかかります。隣町に移動するだけでも、バス代やら電車賃やらかかります。何をするにも、金が必要なのです。
このように、肉体面でも、金銭面でも、両方、苦しいのです。勿論、人間関係でも苦しいでしょう。
とにかく、人生は、元々、楽だと思わない方がいいです。