さて、死にたい位に悩んでいる時ならば、それはもう、自力ではどうしようも出来ないということだ。
故に、それならば、外部の人間や機関に頼る他はあるまい。それはつまり、生活保護とかのことです。
なんか、昔、本当に貧乏暮らしの老齢の夫婦がいた。それはテレビで放送していた。それで、その夫が言うには、入院中の妻の為に、葬式の時位は派手に立派な葬儀を上げたいということで、百万円残してあるらしい。
そのせいで、生活保護は受けられないらしい。でも、その夫は頑固で、その百万円は頑なに使おうとしないのだった。
まあ、私なりの思いを吐露しますと、今、生きているのに困窮しているのだから、死後の葬式のことなど考えずに、その金をとりあえず使えばいいのに。
それで、葬儀を立派にしたいという考えも、勿論いいんだけど、それは金がある場合に限る。金が無いのに、葬式を立派にする為に、その百万円を保存し続けておく、というのは、理に適っていない。まったくもって、アホの極みだ。
その百万円を治療費とか生活費に充てて、無くなったら、直ぐに生活保護に頼ればいいのに。それか、無くなる前に生活保護課に十分に相談するとかさ。
助けを求めよう。人は一人では生きていけない、特に弱者は。弱ければ弱い存在であればある程、たった一人や二人では生きてはいけないのだ。
大金持ちには、生活保護も年金も不要である。生活保護や年金が必要なのは、それがないと生きていけない人達、つまり弱者達なのである。
助けが必要ならば、助けを求めるべきだ!私も弱い人間、貧乏人なので、失業保険の期間が溜まったら、遠慮なく、失業保険を請求するつもりだ。
まあ、人生計画というのも、素人ながら立ててありますので、直ぐに無計画に仕事を辞めるという訳にはいきませんけどね。
とにかく、助けてもらえる社会保障制度やシェルター等があるのならば、そこに頼るべきだ。
そのままでは死んでしまうような状況ならば、とっととそこに縋りつくべきだ。