希望的観測というのは、無謀な賭けである
悲惨極まる事故というのは、殆どの場合、無茶で、且つ、いい加減な予測、そして楽観的な予測から生まれます。
前にあった、若いスキー客ばかりを乗せたバス会社のバスが谷底に落下して大勢の未来ある若者が死んだ事故も、大型バスに乗り始めた初心者の運転手に、ろくな休憩も取らせずに長時間運転させたことが原因でした。しかも、費用節約の為に、高速道路を走らせずに、大きなバスなのに、狭くて曲がりくねった一般道を走らせていました。しかも夜間、且つ、雨天で。
結果、スピードを出し過ぎてカーブを曲がり切れずに、そのバスは谷底へ落下し、運転手も乗客も大勢死にました。覆水盆に返らず。そのバスの運営会社は、家宅捜索を受け、潰れたと記憶しています。
他にも、[このカーブの先には、誰もいないだろう]と勝手に思い込んで、猛スピードでカーブを突き抜けようとしたら、丁度曲がった先に道路を横断している最中の老人がいて、轢き殺してしまった、というケースとかもあります。
世の中で起きる事故というのは、ほぼ全て、[多分、大丈夫]の無責任な思考が原因です。また、事故のみならず、粉飾決算事件とかも、[多分、バレないから大丈夫]と思って行動したことが原因です。確実に逮捕されると思っていたら、損しかないので、やらない筈です。
[多分、大丈夫]の精神で人生を生きると、人生が破滅することが多い。飲酒運転も、多分、無事に帰宅できると思って運転していたら、検問で捕まって免停になったり、最悪の場合、人を轢き殺してしまって、危険運転致死傷罪で懲役刑を食らうという形になり、人生が終了します。
とあるアンケートによると、〇あなたの運転技術は平均以上か?とか、あなたは人の良いところ、悪いところを見分ける能力が平均以上あるか?とか、あなたの仕事の成績は、組織内で平均以上か?といった質問に対し、八割から九割程度の人が、[はい]と回答するようです。
平均とは、中央値のことなので、本当に九割の人が平均以上の能力がある、というのは、実際にはあり得ません。このことから、大抵の人間は、自分の能力を過大評価しているらしいです。
特に成績の悪い人間、成績の悪い組織ほど、自分や自分達を過大評価している傾向があるらしいのです。
[優れた戦争指導者は、まず政治システムを刷新し、法令を貫徹し、勝利する万全の体勢を整える]
つまりは、勝つ人間ほど、準備により多くの時間と労力を掛けるのです。逆に、希望的観測に頼ってばかりの人は、碌な準備もしないということです。
多面的に比較検討をし、冷静且つ客観的に物事を判断することが肝要
いかに客観視し、冷静に正しい評価を下すか。孫子の兵法は、以下のように述べています。
それは、物事を一点のみで比べるのではなく、複数の点から比較検討することです。
例えば、孫子の兵法の説く戦争に勝つ条件として、〇君主の政治、〇将軍の能力、〇天の時と地の利など、全部で七つの基本的条件があるそうです。故に、一つのみの数値で比較はしないということです。
まあ、とにかく、死にたい人に当てはめてみると、その死にたい状況に陥った原因には、最初から無茶な判断があったということ。
つまりは、借金苦で苦しんでいるのならば、お金の無い時は我慢すれば良かったものを、クレジットカードとかサラ金で借りれば、毎月少額の返済で済むし~、これなら楽だわ!なんていうバカを釣る為のCMに騙されて、その通りにしてしまったとか。
それが積もり積もって、大借金に至った、という訳だ。そこには、未来の自分は、この程度の借金の額ならば、楽に返済可能だ、という、[多分、大丈夫]という思考が働いていたのだ。
それは駄目だということ。多方面から比較検討し、サラ金の怖さ、クレジットカードのリボ払いの怖さ、銀行のカードローンの怖さも、しっかりとネットで調査し、他に金を借りずとも済む手段はないか?としっかりと調査しなかったことが、大借金を負った敗因だった、というケースが殆どなのである。
今、死にたい人も、自己破産とか、色々と解決手段はあるが故に、安易に死のうとしないこと。[死んだら楽になれる]というのは、究極の[多分、大丈夫]の考え方であるが、実際には、自殺した者の霊は、死後にとんでもなく苦しむことになるが故に、寿命が訪れるまでは生き続けた方がマシなのだ。