呉という国の滅亡に学ぶ、[短絡的な怒り]のバカさ
怒りで身を滅ぼした孫武の元上司
孫子の兵法の著者である孫武を呉という国にリクルートしたのは、伍子胥(ごししょ)という人物です。
彼は楚という国の人物でしたが、家族を楚王に殺害されて、呉に逃亡してきました。その後、呉の重臣となり、楚と戦い、孫武の助けもあり、大勝しました。
その後、孫武は呉を離れますが、伍子胥は呉の重臣のままでした。
呉の王の夫差(ふさ)は勝利に慢心し切り、謙虚さを失いました。そんな主君に対し、伍子胥は強く諫(いさ)めました。しかし、王の逆鱗に触れてしまい、自害命令を受けました。
伍子胥を失った後の呉は、その後、無理な政策の結果、衰退していきました。その後、他国との戦争に負け、夫差も自害し、呉は滅亡しました。
王を諫めた伍子胥は有能な人物でしたが、激情型の人物でした。激しい怒りに任せて、正しい行いを実行しようとしたのです。
伍子胥に足りなかった部分。それは、王を説得する方法を、他の方面から試さなかったことです。
怒りに任せた行為は身を亡ぼすと心得よ!
言い伝えによると、孫武は勝利の後、呉国から出国しました。伍子胥と呉の王との対立の前に、呉の国を後にしていたのです。
孫武は[怒り]について、どのように記述しているのでしょうか?
[王たる者、将たる者は、怒りに任せて軍事行動を起こしてはならない。状況が有利であれば行動し、不利ならば中止すべきである。怒りは、時が経過すれば喜びにも変わるだろう。しかし、国が滅亡すれば、それで終わりであり、人は死ねば、二度と生き返らないからだ]
怒りは人を短絡的にしてしまいます。激情、激昂は、その時点で選択可能な複数の選択肢を消失させ、破滅の一本道しか見えなくなります。
例えば、ギャンブルにしても、傷の浅い内に止めればいいものを、負けた怒りに任せて、取っておかなければならない金までも、無謀な賭けに出て、全てスッカラカンにしてしまうとか。
この前も、煽り運転で、バイクを転倒させ、殺してしまった自動車の運転手が逮捕されていました。そいつも、煽っている時は怒りに身を任せていたのでしょう。しかし、冷静に考えれば、そいつは娑婆にいるからこそ車を運転出来たり、好きな時に好きな場所に行けたり、好きな食べ物を食べられるのです。たとえ安いインスタントのラーメンでさえ、娑婆にいるからこそ、自由に食べられるのです。
それが、刑務所の中に入れば、全て管理され、ほぼ何の自由もありません。犯罪者達とのつまらない共同生活が長年続きます。そいつはきっと、危険運転致死傷罪で立件されるでしょうから、長年刑務所暮らしになるでしょう。
出所してからも、被害者への賠償金の支払いの為に、毎月必死になって金を稼いでも、強制的に口座から賠償金を引き落とされてしまうと思います。冷静になって考えれば、赤の他人を煽って殺したとしても、何の得もないし、逆に損ばかりなのです。
怒りに身を任せて行動をすれば、一瞬にして、それまで積み上げてきたものが瓦解します。たとえ今の私のように、特に何の財産も無い者であっても、ただ娑婆にいるというだけで、それは有利なのです。
怒りに身を任せて誰かに危害を加えた結果、大抵の人にとって百年もない短い人生の内、貴重な若い頃の時間を棒に振る人間の、何と多いことか。
激しい怒りで一つの方法しか見えなくなっている時は、その場から一旦離れましょう。そして、冷静になるように、頭を冷やす意味でアイスティーなんかを飲んで、冷静に思考するように努めましょう。