完璧であること。それは、無理だ。まして、私のような[能力のない人]にとって、完璧など、程遠い。
私は子供の頃から、全く完璧ではない。むしろ、不完全の塊であった。何もまともにこなせない。
今、36歳であるが、今まで自営業をやったこともなければ、正社員として勤務した期間も、合計しても二年もない。
まったく、駄目な人間なのである。
それでも、まだ、今、生きている。生き続けている。
とにかく、完璧・完全というのは、ありえない。まして、若い時期なら猶更だ。老齢になって技術力が上がって、報酬額が上がって、経験値が上がっても、今度は、若い肉体が無い。
完璧を目指すのはいいが、完璧などは存在しないのだ。あの葛飾北斎でも、老齢になっても、まだまだ完全ではない、と自覚していた。
葛飾北斎ほどの大天才でもそうなのだから、我々一般庶民が完全・完璧な存在になるというのは、夢の又夢の話だ。
とにかく、人生、急ぐことなかれ。
[常に何か成果を求める]という状況は必要な時期もあるが、死にたい位に気持ちが沈んでいるのならば、その時期ではない。そんな辛い時期は、ただ真っ直ぐに身体を休めるのが先決だ。
勿論、人生の時間は短い。昔の人よりも寿命が二倍近く伸びたとはいえ、やはり若い肉体のまま80歳まで生きられる訳ではない。生きれば生きる程、老いていくのは必然だ。不老不死というのはあり得ない。
但し、それでいいではないか。完璧は無理。一つの、一人の人生のみで、完全体になることなど、そもそも無理なのだ。
この世に生まれて来るという意味、生きる意味というのは、今回の人生から学べることを学ぶということであり、この世のありとあらゆることを経験するということではない。それは無理だ。
たった一人しかいないのに、複数の人生を生きることは出来ないし、たった一人しかいないのに、同時に複数の経験をすることも不可能だ。
今、生きている、己の魂が入っているその肉体、その一つの肉体に宿って経験する人生、これが今回のテーマだ。
故に、完璧でなくていい。その、自分自身のこと、今回の人生が紆余曲折あれど、それが一つの結果となる。
その結果は完璧には到底ならないが、最期まで生き抜くこと、これが重要なのだ。